聖地巡礼vol.3


 さて、「伝承館」のパネル展示の内容を(うろ憶えの記憶まじりに)総合すると、キリスト伝説が出てきたのは、昭和10年。茨城県にいた「竹内巨麿」という「歴史研究家」の家にあった「竹内古文書」に、「この村にキリストの墓がある」、と書かれていたらしい。その後、あやしい古代史研究会によって、キリストの遺言が発見され、この話は、一躍有名になった。

 ところで、村には、キリストに関する話は、これ以前には伝わっておらず、「伝説」というよりは降って湧いてきた「湧説(ゆうせつ)」だという。

 発見されたキリストの遺言書によると、21歳のキリストは日本で修行し、33歳のときにユダヤの地に帰国して、「周囲の人々に神国日本の尊さを語り続けた」らしい。

(「神の国は、あなたたちの心の中にある」(新約聖書)って言葉の「神の国」って日本の意味だったの?)。

 で、ユダヤ教と対立した彼は処刑されたのだが、実は、処刑されたのは彼の弟「イスキリ」。難を逃れたキリストは、シベリア、アラスカと巡り、その後、青森県八戸のあたりに渡航した。

 で、ここ戸来(へらい)村(新郷村の旧名)に定住し、ミユ子という日本人女性と結婚。名を「十来太郎大天空」と変えて(紀元1〜2世紀の日本に「漢字」があったのか?)、106歳まで生きた、という・・

 もちろん、立派な証拠も、いくつかある。

証拠その1;「ユダヤに縁(ゆか)りのありげな風習や習慣が今なお多く残っている」
(「伝承館」パンフレットの言葉をそのまま写した。「縁りのありげな」という所に、哀愁を感じる)
証拠その2;「キリストの子孫とされる沢口家の家紋が、5つ角の星形であり、ダビデの6つ角の星形に似ている」
(この地方では、キキョウの家紋を「星形」と呼ぶらしい)
証拠その3;「古老によると、沢口家の昭和初期の当主は、背が高く(175cmらしい)、顔立ちが日本人離れしていた」
(ジャイアント馬場なんか、もはや地球人じゃないですな。この理屈だと)
証拠その4;」 「この地方には、意味不明の盆踊りの歌があり、その歌詞
ナニャドラヤ ナニャドナサレノ ナニャドラヤ
 は、ヘブライ語で解釈すると
汝の聖名を讃えん 汝に毛人を掃討して、汝の聖名を讃えん
 という意味になる
(これが書かれたパネルの続きに、民俗学者柳田国男の訳があり、
なんでもやれよ なんでもなされませ なんでもやれよ
 と言う意味で、恋愛の告白をすすめる歌だという)


 まあ、こんな施設だが、私たちがここを見学している間に、家族連れなど、数人の見物客が訪れていたので、それなりに繁盛しているようだ。

 果たして、この墓が本当のキリストの墓なのか、私には断言できない(笑)。真実は、皆様自身の眼で、確かめて・・・って、見なくても判りますかな?

 しかし、ひとつだけ言えることがある。

 この村、きっとキリスト教徒いないから、こんなの造っちゃったんだろうなあ。
 1999.06.04 補足;なんと、石川県押水町には、「モーゼの墓」があるそうで(笑)。やっぱ由来は、竹内文書でちた。

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